Photo & Essay

Updated: 2004/02/12
「愛と夢」
撮影: 2004/02/11
広島県広島市中区江波東1丁目

今回は写真的に面白くないのはご勘弁頂きたく。

たまたまこんな看板が目に付いた。
「愛があり、夢がある − 世界の電話機。」
愛がある電話機って何だ?
夢がある電話機って何だ?

私も通信業者に籍を置く身。
通信業界もコスト競争にさらされ、愛も夢もない。
しかし、この企業は、愛があって夢がある世界の電話機なんていう崇高なキャッチフレーズを建物に掲げている。
やっぱり、コストではない何かが、電話機といえどもあるのではないか?
そうすると、通信事業にも、何かが。

コストで勝負するということは、コストに負けないようにしなければならないということ。
もちろん、コスト構造が分かるから可能なことであって、その本質を知らずしてコストで勝負すると、その結果は推して知るべしではないか。

そんな状況にあって「何か」を見つけることが必要なんだと思うんだけれど、
縦割り組織やら社内の仕組みやらその他の圧力やらそのための対応やら。
巨大でもないのに巨大な会社に埋没してしまっている。
そして、その状況が全く理解できずについていけてない私。

コストは脅せば下がる。
価格が全て。
親会社におんぶにだっこ。
雰囲気に流される経営施策。

こんな雰囲気の下で、私は何をすれば良いのだろう?

朝の自転車での通勤途中、私はいつも時間調整のために数分ほど川のほとりの遊歩道に佇む。
ここの公衆トイレで、最近時々掃除のおじさんを見かけるようになった。
車で乗り付けて、手早く掃除して、チェックリスト(?)に記入して、何事も無かったかのように車で去っていく。
彼の仕事は、明らかに街の美観維持と設備維持に役立っている。
私の仕事は、何かに役立っているのか?
余程彼の仕事の方が社会に貢献しているのではないか?

会社に貢献するってどういうこと?
私が思う「貢献」と会社が思う「貢献」は、多分違う。
そんな私を、会社は必要としていない。
そんな私にとって、会社は金づるでしかない。

こんな石碑(?)を見つけた。
各国語の「愛」。
世界中の言語で「愛」が表現できるのに、
身近に、自分に、「愛」がない。
「愛」って、人を幸せにすることでしょ?
自分にもそんな気持ちがないし、身近にもあまり感じない。
自分に「愛」がないのに、愛のある仕事なんて出来ないよ・・。

でも、贅沢な悩みだよね。食えてるんだし。
ごめんなさい、愚痴っちゃって・・・。

川のほとりの写真: 2004/01/22撮影 広島市中区大手町4丁目
石碑(?)の写真: 2004/02/11撮影 広島市中区中島町

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