つもちゃんのひとりごと (2017年10月)
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- 2017年10月29日 本日のお題:「ひとりごと」20周年とエンジニア像への迷い
- 公私ともにバタバタしていて時期を逸してしまいましたが、実は、10月16日に、この「ひとりごと」を始めて20年を迎えました。
20年前はまだブログのシステムもなかったのでHTMLを直接書くことで始め、1度だけデザインを変えた以外はそのスタイルをほぼそのまま引きずっています。
こうした表現の場はSNSで代替できるので、幾度となくやめようと思いつつ、惰性でここまでやってきたという感じです。
先日、さくらインターネットの田中社長がブログで「やっぱり世の中は1993年を起点に変わった気がする」という記事を書かれており、同じ時代を生きた者として興味深く読みました。1993年、高専5年生だった私が使っていた環境はメールとNetNewsが辛うじて1日数回のバケツリレーで届くUUCPの環境で、リアルタイムに通信できる環境なんて想像もしていませんでした。WWWとブラウザ(Mosaic)の存在を知ったのは高専を卒業して1〜2年経った頃でした。
自分がISPと契約して自分のWebサイトを持ったのは「ひとりごと」を始める1年ほど前なので、WWWの存在を知ってそう時間が経っていない頃です。そして3年経たないうちに独自ドメインを使った自前のサーバでの運用を始めました。
先日サーバをVPSに移すに当たって、それまで vogue(流行)という名前にしていたサーバ名を変える必要が生じ、いろいろ考えた結果、relic(遺物)という名前を付けました。20年間の自分の遺物が入っている、ということだけでなく、HTMLを直接書いているということやサーバにOSやソフトウェアを手動でコンパイル・インストールして維持する、という技術的スタイルも含めて、既に遺物なのではないか、ひいては、そうした技術的スタイルを糧としてきて、そこから脱却できない自分自身が既に遺物なのではないか。そうは言っても、インフラエンジニアたる者、通常はパッケージシステムやAnsibleのような自動化ツールを使うにしても、手動でmakeできないと務まらないのでは、また、これだけGUIが普及しプログラミングのスタイルが変わっても、プログラムはやっぱりHello,Worldから始めなければ理解が進まないのでは、と思ってます。そういう疑問、迷いというか「もやもや感」をその名前に表現してみたわけです。
先のブログでの田中社長の思いは「常に変革の中で生きて欲しい」という部分です。変革の中で通用するエンジニアを育成しなければならないという自分の立場は、それが自分で切り開ける人ならいいけれど、それが難しい人にもある程度世界観や道標を示さなければならないということだと思っています。しかし、自分の世界観が既に遺物なのだとすると、それを押しつけることは「常に変革の中で生きる」ことを阻害することになります。
今、技術的バックボーンが持てていない人が多いがために、業務上でいろいろな弊害が出ているように思います。しかし、残念ながら業務を通じてそのバックボーンを習得する機会がありません。そうしたバックボーンの習得に向けた誘導が求められているなかで、「今の時代に即した技術的バックボーンをしっかりと持ったエンジニア」とはどういうものなんでしょうか。
余談ですが、このHTMLがShift_JISで書いてあるという時点で既に遺物なのかも知れませんね。既にHTMLの規格としてはUTF-8でなければならないということをつい最近知って、時の流れを感じました。。